お客様の声
私は8年前に卵巣癌のステージ3と診断されました。そして3年前に再び、結腸と肝臓に転移した卵巣癌と診断されました。私の担当医は、生存の望みをあまり与えてくれませんでした。
私は、29歳という若さで乳がんと診断された友人から714Xのことを聞きました。彼女は12年後の現在も生きています。
私は結腸の腫瘍を切除するための手術を受けました。しかしながら、その時には肝臓に関しては何も手を下すことはできませんでした。そこで714Xを試すことにしたのです。失うものは何もありませんでした。714Xを試しました。担当医の指示通りCTスキャンを受けると、肝臓にはもう癌が全くないことがわかりました。それ以来714Xを使い続け、3年たった今も癌とは無縁です。
714Xについて、またこの製品に関して関わってきた人々について他に言うことはありません。714Xは私の命を取り戻してくれたのです。
C.P.、ニューハンプシャー(米国)
2005年6月29日
他のお客様の声は以下のウェブサイトにてご覧になれます。
私は、29歳という若さで乳がんと診断された友人から714Xのことを聞きました。彼女は12年後の現在も生きています。
私は結腸の腫瘍を切除するための手術を受けました。しかしながら、その時には肝臓に関しては何も手を下すことはできませんでした。そこで714Xを試すことにしたのです。失うものは何もありませんでした。714Xを試しました。担当医の指示通りCTスキャンを受けると、肝臓にはもう癌が全くないことがわかりました。それ以来714Xを使い続け、3年たった今も癌とは無縁です。
714Xについて、またこの製品に関して関わってきた人々について他に言うことはありません。714Xは私の命を取り戻してくれたのです。
C.P.、ニューハンプシャー(米国)
2005年6月29日
他のお客様の声は以下のウェブサイトにてご覧になれます。
私は、1999年に乳癌があると言われた後、腫瘍医による治療を受けていました。化学療法の後、乳房切除、そして放射線治療を受けました。医者の診断を受け、検診を受けることを続けていました。2年経った後、体調がすぐれず、もう1つの乳房のマンモグラフィーを受けたいと主張しました。結果が出た後、肺に何らかのかたまりがあることがわかり、CATスキャンをすることにしました。その結果、肝臓にも癌があることがわかりました。
友人の友人から、714Xを使用したことを聞き、私も試すべきだと言われました。「絶対に嫌だ」と私は言いましたー何をすべきかは腫瘍医が教えてくれる、と。しかし、このことを何度も考え、また伝統的な治療を受けている間に癌がすぐに転移したことを受け、私は試してみると言いました。腫瘍医の看護師が、父親に注射をしている女性のことを話してくれました。私は彼女を呼び、自分自身にどう注射するのかを見せてもらいました。
その日以来、私は714Xを使っています。2003年2月には、私のCEAレベル(腫瘍マーカー)は、8.6でした。714Xの使用後、現在は1まで下がりました!!!3未満は全て正常なのです!CATスキャンを、2003年の9月と12月に2度行いました。両方とも、安定という結果で、多少の縮小もみられました。腫瘍医は信じられないと言っています。化学療法を受けて非常に気分が悪くなるよりも、毎朝注射をすることによって健康でいたいかって?もちろんです!
私はかつて(714Xに)疑いを持っていましたが、今となっては心から信じています。714Xの結果が見えることで、より一生懸命に闘うようになり、私の気持ち全体が前向きになりました。癌を患っている人全てがこの製品のことを知ってくれればと願います。死者の数がぐっと減ることは間違いないと思います。
714Xについてはいくら言っても足りず、ただ、いずれは皆がこの病と闘うために使うようになってくれることを望むだけです。
カレン・クリスト、マサチューセッツ州(米国)
友人の友人から、714Xを使用したことを聞き、私も試すべきだと言われました。「絶対に嫌だ」と私は言いましたー何をすべきかは腫瘍医が教えてくれる、と。しかし、このことを何度も考え、また伝統的な治療を受けている間に癌がすぐに転移したことを受け、私は試してみると言いました。腫瘍医の看護師が、父親に注射をしている女性のことを話してくれました。私は彼女を呼び、自分自身にどう注射するのかを見せてもらいました。
その日以来、私は714Xを使っています。2003年2月には、私のCEAレベル(腫瘍マーカー)は、8.6でした。714Xの使用後、現在は1まで下がりました!!!3未満は全て正常なのです!CATスキャンを、2003年の9月と12月に2度行いました。両方とも、安定という結果で、多少の縮小もみられました。腫瘍医は信じられないと言っています。化学療法を受けて非常に気分が悪くなるよりも、毎朝注射をすることによって健康でいたいかって?もちろんです!
私はかつて(714Xに)疑いを持っていましたが、今となっては心から信じています。714Xの結果が見えることで、より一生懸命に闘うようになり、私の気持ち全体が前向きになりました。癌を患っている人全てがこの製品のことを知ってくれればと願います。死者の数がぐっと減ることは間違いないと思います。
714Xについてはいくら言っても足りず、ただ、いずれは皆がこの病と闘うために使うようになってくれることを望むだけです。
カレン・クリスト、マサチューセッツ州(米国)
私は血液関係の癌の治療を受けながら714Xを使い始めました。
714Xは、私が寛解の状態に入ったことや、現在これほど健康で丈夫であることの重要な要素であったと確信しています。化学療法やリツキサンなど私が受けてきた従来通りの治療とともに、714Xは、さらに免疫システムを高めるのに役立ったと感じています。それ以来、714Xを使った6カ月の維持治療を2度完了し、これが私を寛解の状態に保ち免疫システムを構築している主な要因だと信じています。これは非常に安全であり、誰もに使用をお勧めできる製品です。
CERBEのスタッフはいつでも質問に答えてくれ、本当に正直かつ率直で信頼のできる方々です。私にとってはこれが最も重要なことです。CERBEのスタッフは、常に私が製品を使う最初の患者であるかのように対応してくれ、私の健康に心から気を遣ってくれます。そしてこれは癌と闘って生き延びた者にとっては特別で非常に大事なことです。もし彼らの製品を選択すれば、あなたも同じように感じるに違いありません。
CAM、2005年8月1日
714Xは、私が寛解の状態に入ったことや、現在これほど健康で丈夫であることの重要な要素であったと確信しています。化学療法やリツキサンなど私が受けてきた従来通りの治療とともに、714Xは、さらに免疫システムを高めるのに役立ったと感じています。それ以来、714Xを使った6カ月の維持治療を2度完了し、これが私を寛解の状態に保ち免疫システムを構築している主な要因だと信じています。これは非常に安全であり、誰もに使用をお勧めできる製品です。
CERBEのスタッフはいつでも質問に答えてくれ、本当に正直かつ率直で信頼のできる方々です。私にとってはこれが最も重要なことです。CERBEのスタッフは、常に私が製品を使う最初の患者であるかのように対応してくれ、私の健康に心から気を遣ってくれます。そしてこれは癌と闘って生き延びた者にとっては特別で非常に大事なことです。もし彼らの製品を選択すれば、あなたも同じように感じるに違いありません。
CAM、2005年8月1日
私は2002年に、血液の癌の一種である異型の1次性赤血球増加と診断されました。これは赤血球の数が異常に多いという症状です。処方された療法は必要な時に瀉血を行うというものです。今年の2月、3月、4月に瀉血を行いました。5月初旬に714Xの使用を開始し、その後3ヶ月、血液は正常でした。生活スタイルも変え、サプリメントも服用しています。8月と10月に瀉血をしなければなりませんでしたが、11月には再び血液の機能は正常な状態に戻りました。次の血液検査は12月の末です。私はこの明らかな成功に非常に元気づけられています。714Xを服用したのは7ヶ月という非常に短い期間でしたが、既に症状が改善しているという兆候が見えています。私のエネルギーレベルははっきりとわかるほど改善し、何年ぶりかに良く眠れるようになりました。血圧も20年ほど高い状態が続いていましたが、非常に改善しました。714Xを手に入れられられたことに感謝しており、これからも健康改善を続けるために使うことを楽しみにしています。
A. W. Canada
A.W. カナダ
2009年9月
A. W. Canada
A.W. カナダ
2009年9月
1985年、私は13歳の時に初期の神経外杯葉性腫瘍と診断されました。最初は鼻腔から始まりました。手術を受けましたが、数か月のうちに腫瘍が再生し、右の鼻腔を塞ぎ、脳に入りこもうとしていました。再び手術が行われ、そして放射線治療と2年間の化学療法を受けました。1987年の8月に化学療法を終えました。1987年の10月に結腸癌で亡くなりました。1991年に右の腎臓に腫瘍が再発し、これを除去しました。そして1993年に左の肺葉の下部に再発しました。
手術と1年間の化学療法。今回は最初の時よりもひどいものでした。化学療法を終えて数ヵ月後に、腫瘍が右の肺葉下部に再発しました。看護学校の卒業式の6日前に手術が行われました。骨髄が取り出され、全身への放射線治療そしてマスタードガスであるメルファランを一度投与するかもしれないと言われました。これにより30%ほど寛解されましたが、治癒はしませんでした。この処置の結果、死亡する可能性が10%あり、また形成不全貧血を発症し、2、3か月の入院(その一部は完全隔離)を余儀なくさせられるということでした。医師に頼んで、提示された治療に関する研究を提供してもらいました。この研究によると、全ての人が死亡したということでした。私は、継母の兄(弟)を通じて714Xのことを知りました。この治療を開始し、前回の手術から3か月後に私は結婚し、家を購入し、看護試験に合格したのです。とても幸せでした!!!
2008年12月8日で、癌を克服してから14年になります。空手の黒帯二段を取得し、現在はホスピスの看護師です。患者さんに714Xの話をしますが、まだ誰もこれを選択したことがありません。ほとんどの患者さんは、「末期」という知らせや、終えたばかりの厳しい治療のせいで、ひどく落ち込んでいるのだと思います。私は、神様は我々の体を自然に治癒するように設計し、体はただ正しい物を取り込むことが必要なだけだと心から信じています。とにかく、私はあなた方が行っていらっしゃることにもう一度感謝をしたいと思います!
JC, KS, USA
JC、米国カンザス州,
2008年9月
手術と1年間の化学療法。今回は最初の時よりもひどいものでした。化学療法を終えて数ヵ月後に、腫瘍が右の肺葉下部に再発しました。看護学校の卒業式の6日前に手術が行われました。骨髄が取り出され、全身への放射線治療そしてマスタードガスであるメルファランを一度投与するかもしれないと言われました。これにより30%ほど寛解されましたが、治癒はしませんでした。この処置の結果、死亡する可能性が10%あり、また形成不全貧血を発症し、2、3か月の入院(その一部は完全隔離)を余儀なくさせられるということでした。医師に頼んで、提示された治療に関する研究を提供してもらいました。この研究によると、全ての人が死亡したということでした。私は、継母の兄(弟)を通じて714Xのことを知りました。この治療を開始し、前回の手術から3か月後に私は結婚し、家を購入し、看護試験に合格したのです。とても幸せでした!!!
2008年12月8日で、癌を克服してから14年になります。空手の黒帯二段を取得し、現在はホスピスの看護師です。患者さんに714Xの話をしますが、まだ誰もこれを選択したことがありません。ほとんどの患者さんは、「末期」という知らせや、終えたばかりの厳しい治療のせいで、ひどく落ち込んでいるのだと思います。私は、神様は我々の体を自然に治癒するように設計し、体はただ正しい物を取り込むことが必要なだけだと心から信じています。とにかく、私はあなた方が行っていらっしゃることにもう一度感謝をしたいと思います!
JC, KS, USA
JC、米国カンザス州,
2008年9月
私はL.E. という40歳の女性です。私は長年にわたりサイトメガロウィルス、そして後にはループスに侵されてきました。1985年に陽性と診断され、精神的およびコーチゾン治療によって対処してきました。大きな農業企業に勤めていた1999年に、体調が非常に悪くなりました。ストレス、長時間勤務、疲労が全てこれに加わってしまいました。何度も何度も検査を行ったあと、ループス陽性とされました。私の状態が非常に悪かったため専門家は化学療法などを提案しましたが、私はすぐに拒否しました。私は医療業界にいる親友に電話をし、その友人がグス・スティーブンスを紹介してくれました。
グスは、自身の息子の癌の治療に驚くべき結果をもたらしたというカナダ発の714Xの注射を始めるよう、私に提案しました。ループスは退行性のウィルス性の病気で、注射は特にこのためでした。私はすぐに714Xの使用を開始しました。この当時、私の体調は非常に悪く、エネルギーも全くなく、胸の痛みが激しく呼吸をするのがやっとで、基本的に寝たきりでした。714Xはすぐに効果を表すわけではなく、時間がかかると知っていたので、辛抱強く待ちました。2度の治療の後に体調が改善し始め、4度目が終わる頃にはぴんぴんしていました。昔の私自身と通常どおりの日々の仕事に戻れたのです。ストレスや過労には十分気をつけなければいけません。2001年7月に再び体調を崩しましたが、前回ほど悪くはなかったので、すぐに714Xを再開し、2周期目が終わった後には、また体調が元に戻りました。
ループスは完全に治癒することはできず、寛解することができるのみです。治療を全て終えた後にはループス陰性と診断されたので、この状態が続くよう祈っています。サイトメガロウィルス(CMV)の治療はできないと言われていましたが、驚いたことにこれも寛解され、血液検査ではCMV陽性と出たものの、これまで何の症状も感じていません。
現在のところ、今までににないほど健康です。
グスは、自身の息子の癌の治療に驚くべき結果をもたらしたというカナダ発の714Xの注射を始めるよう、私に提案しました。ループスは退行性のウィルス性の病気で、注射は特にこのためでした。私はすぐに714Xの使用を開始しました。この当時、私の体調は非常に悪く、エネルギーも全くなく、胸の痛みが激しく呼吸をするのがやっとで、基本的に寝たきりでした。714Xはすぐに効果を表すわけではなく、時間がかかると知っていたので、辛抱強く待ちました。2度の治療の後に体調が改善し始め、4度目が終わる頃にはぴんぴんしていました。昔の私自身と通常どおりの日々の仕事に戻れたのです。ストレスや過労には十分気をつけなければいけません。2001年7月に再び体調を崩しましたが、前回ほど悪くはなかったので、すぐに714Xを再開し、2周期目が終わった後には、また体調が元に戻りました。
ループスは完全に治癒することはできず、寛解することができるのみです。治療を全て終えた後にはループス陰性と診断されたので、この状態が続くよう祈っています。サイトメガロウィルス(CMV)の治療はできないと言われていましたが、驚いたことにこれも寛解され、血液検査ではCMV陽性と出たものの、これまで何の症状も感じていません。
現在のところ、今までににないほど健康です。
症状(最初は尿中の出血と凝血)は2007年6月に始まり、超音波による検査で、膀胱腫瘍があることがわかりました。初期治療の担当は自然療法を行う医師であり、私の夫は対症療法に対して完全に哲学的に反対だったので、私たちはこの担当医と共に治癒プロセスに向かうことに決めました。かなり初期の段階で担当医が夫の治療養生法の中で714Xを使うことも可能だと提案し、ビデオを貸して下さいました。しかし最初は、これが一体どのように作用するのかよく理解せず、そしてこの段階では癌の診断を受けたことで何に直面しているのかも良く解らなかったため、躊躇していました。そして担当医と共に様々な理学療法を試し、腫瘍の成長を遅らせることには成功しましたが、その大きさは徐々に増していきました。感染と毒素が問題の根源であるとはっきりわかっており、これに対処する一方で腫瘍の進行を抑え出血を抑制するということは、絶妙なバランスでした。2008年8月に急速かつかなり突然の失血が起こり、緊急救命室に運ばれ病院で一夜を過ごし、4単位の輸血を行いました。この後、担当医と共に治療継続すると同時に、治癒を可能とするために必要な変化も我々の心と精神に留めました。
2010年5月に早送り-軽度から中程度そして重度な出血が比較的長期続いたことで、夫は体力を落とし、非常に衰弱したため、再び緊急救命室に入ることとなってしまいました。この時の夫の容態は、医師が失血による心臓への影響を心配するほどまで悪化しており、集中治療室(ICU)に収容されました。間もなく輸血が始まりました。CTスキャンにより、存在すると知っていた腫瘍が映し出されましたが、ひとつのみでした(前回のスキャンでは、もうひとつ、小さい腫瘍が腎臓壁にあるとされていました)-これが右の腎臓の尿管をふさいでいたのです。
医師団は膀胱鏡検査をしながら膀胱を洗い流し、血栓を取り除き、同時に手術によって焼灼により(切除ではない)腫瘍を除去することを勧めました。衰弱し、やや「霧にとざされた」状態で、また少したじたじしていた夫は、当初この処置を好みませんでしたが、私たちは一晩よく考えた上で翌朝、同意しました。腫瘍の大きさは、この処置の限界を超えるほどの大きさであったため、泌尿器科医は腫瘍を完全に取り除けるかどうか確信していませんでした。泌尿器科医の、「全て取った」という言葉が私にもたらした安堵感を表現するのは難しいです-新たな希望の一歩でした。残念ながら、腫瘍学レポートによると、癌は膀胱壁を貫いていたのでした-筋肉組織の中まで到達していたのです。右の尿管の中にステントが入れられました。ICUに二晩泊まり、そのうち一晩は通常の病室で何度も洗浄を行い、別の夜は手術室にて6単位の輸血を行い、帰宅しました。
私たちは病院に向かう直前に、担当医が進めたとおり714Xを試す必要があると決意し、注文しておきました。退院して約一週間後、製品が届くとすぐに使い始めました。入院した直後に、泌尿器科医と相談しましたが、彼の見通しはあまり良くなく、実際、かなり気のめいる内容でした。彼は膀胱そして前立腺と「袋」の除去を勧めました。彼は、癌が既に体内のほかの部位に転移している可能性が50%あるといいました。これは泌尿器科医が提案した唯一の「治療」で、夫はこれを拒否しました。泌尿器科医は、進行を観察し、膀胱鏡検査を再度行い、3ヶ月後(8月)にステントを取り除くと言いました。これは714Xの4周期目の最後の日でした。膀胱鏡検査の結果、泌尿器科医が癌に関係しているとした斑点が見え、彼はこれは予想していた通りであるが、彼はこれより多くの斑点があると予想していたと言いました。ありがたいことに、腎臓の機能は基本的には正常に戻っていました。泌尿器科医は、3ヵ月後(11月)に再び膀胱鏡検査を行うことを提案しました。これは9周期の1日目でした。
勧められたとおり、私たちは2月に再び検査を行いました-私たちを喜ばせ、泌尿器科医を驚かせ続けたのは、膀胱壁には手術による瘢痕があるのみで、膀胱鏡で見られる癌の跡は何もなかったのです。医師は、私たちが行っていることが何であれそれを継続し、3、4ヶ月後に戻って来るように言いました。714Xの10周期を終えた後、夫は少し間を置きましたが、4月末に、また勧められたとおり3周期を継続して行いました。この3周期のうち2周期に入って数日目に、夫は再び膀胱鏡検査を行いました。今回は、6mmの非常に小さい乳頭状の腫瘍が、もともと膀胱壁にあった大きな腫瘍の反対側に見つかり、これもまた「バグビー」によって切除されました。我々は、当然ながら完治という報告を望んでいましたが、その一方で泌尿器科医は私たちを激励し、ある意味、スタート地点に戻って来ており、今後、小さいが抵抗力のある再発があるのみであれば、従来どおりの治療法であるBCG(膀胱に結核菌の一種を導入してがん細胞を破壊するもの)を薦めると言いました。そしてレポートの中で、夫の病は切除によって治癒された可能性が少なからずあると提言したのです。
私たちは、夫の治癒がここまで前進してきたことに714Xは不可欠であったということに疑いを持っておらず、再発なしに完治できると望みを持っています。今後も714Xを用いた養生法のいずれかを継続し、定期的な膀胱鏡検査を続けていく予定です。
D & P
ダイアン・ケリー、パトリック・ケリー
2011年8月
2010年5月に早送り-軽度から中程度そして重度な出血が比較的長期続いたことで、夫は体力を落とし、非常に衰弱したため、再び緊急救命室に入ることとなってしまいました。この時の夫の容態は、医師が失血による心臓への影響を心配するほどまで悪化しており、集中治療室(ICU)に収容されました。間もなく輸血が始まりました。CTスキャンにより、存在すると知っていた腫瘍が映し出されましたが、ひとつのみでした(前回のスキャンでは、もうひとつ、小さい腫瘍が腎臓壁にあるとされていました)-これが右の腎臓の尿管をふさいでいたのです。
医師団は膀胱鏡検査をしながら膀胱を洗い流し、血栓を取り除き、同時に手術によって焼灼により(切除ではない)腫瘍を除去することを勧めました。衰弱し、やや「霧にとざされた」状態で、また少したじたじしていた夫は、当初この処置を好みませんでしたが、私たちは一晩よく考えた上で翌朝、同意しました。腫瘍の大きさは、この処置の限界を超えるほどの大きさであったため、泌尿器科医は腫瘍を完全に取り除けるかどうか確信していませんでした。泌尿器科医の、「全て取った」という言葉が私にもたらした安堵感を表現するのは難しいです-新たな希望の一歩でした。残念ながら、腫瘍学レポートによると、癌は膀胱壁を貫いていたのでした-筋肉組織の中まで到達していたのです。右の尿管の中にステントが入れられました。ICUに二晩泊まり、そのうち一晩は通常の病室で何度も洗浄を行い、別の夜は手術室にて6単位の輸血を行い、帰宅しました。
私たちは病院に向かう直前に、担当医が進めたとおり714Xを試す必要があると決意し、注文しておきました。退院して約一週間後、製品が届くとすぐに使い始めました。入院した直後に、泌尿器科医と相談しましたが、彼の見通しはあまり良くなく、実際、かなり気のめいる内容でした。彼は膀胱そして前立腺と「袋」の除去を勧めました。彼は、癌が既に体内のほかの部位に転移している可能性が50%あるといいました。これは泌尿器科医が提案した唯一の「治療」で、夫はこれを拒否しました。泌尿器科医は、進行を観察し、膀胱鏡検査を再度行い、3ヶ月後(8月)にステントを取り除くと言いました。これは714Xの4周期目の最後の日でした。膀胱鏡検査の結果、泌尿器科医が癌に関係しているとした斑点が見え、彼はこれは予想していた通りであるが、彼はこれより多くの斑点があると予想していたと言いました。ありがたいことに、腎臓の機能は基本的には正常に戻っていました。泌尿器科医は、3ヵ月後(11月)に再び膀胱鏡検査を行うことを提案しました。これは9周期の1日目でした。
勧められたとおり、私たちは2月に再び検査を行いました-私たちを喜ばせ、泌尿器科医を驚かせ続けたのは、膀胱壁には手術による瘢痕があるのみで、膀胱鏡で見られる癌の跡は何もなかったのです。医師は、私たちが行っていることが何であれそれを継続し、3、4ヶ月後に戻って来るように言いました。714Xの10周期を終えた後、夫は少し間を置きましたが、4月末に、また勧められたとおり3周期を継続して行いました。この3周期のうち2周期に入って数日目に、夫は再び膀胱鏡検査を行いました。今回は、6mmの非常に小さい乳頭状の腫瘍が、もともと膀胱壁にあった大きな腫瘍の反対側に見つかり、これもまた「バグビー」によって切除されました。我々は、当然ながら完治という報告を望んでいましたが、その一方で泌尿器科医は私たちを激励し、ある意味、スタート地点に戻って来ており、今後、小さいが抵抗力のある再発があるのみであれば、従来どおりの治療法であるBCG(膀胱に結核菌の一種を導入してがん細胞を破壊するもの)を薦めると言いました。そしてレポートの中で、夫の病は切除によって治癒された可能性が少なからずあると提言したのです。
私たちは、夫の治癒がここまで前進してきたことに714Xは不可欠であったということに疑いを持っておらず、再発なしに完治できると望みを持っています。今後も714Xを用いた養生法のいずれかを継続し、定期的な膀胱鏡検査を続けていく予定です。
D & P
ダイアン・ケリー、パトリック・ケリー
2011年8月
私は18年前、急性白血病と闘っており、ガストン・ネサーンは私心なく私の命を救って下さっただけでなく、彼のおかげで脚の切断をも免れました。彼および他人のことをこれほど気遣って下さる方々への深い感謝の言葉を簡潔に述べたいと思い、筆を取りました。
称賛を込めて。
EC
2010年3月
称賛を込めて。
EC
2010年3月